2017.8.21

『オニ文化コラム』Vol,29

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師

夏は幽霊や妖怪が身近に感じられる季節かもしれません。お盆はご先祖の魂や亡くなられた方々の魂が私たちの社会に里帰りする、あの世とこの世が一番身近になる時期ですから。人の魂につられて他のナニカもやってきているかもしれませんよね。
 
人ではないナニかのことを物の怪(モノノケ)と言います。これを画像化した書物があります。『百鬼夜行』や『付喪神』などを扱った絵巻です。
 
百鬼夜行(ひゃっきやぎょう、ひゃっきやこう)。
 
深夜に徘徊する鬼や妖怪の群れや行進を指し、これ遭遇すると死ぬと言われています。この伝説は平安時代から説話などに登場し、絵画は鎌倉時代中期には存在しました。京都・大徳寺の真珠庵に、室町時代に土佐光信(とさみつのぶ。1434?~1525?)が描いたと言われている『百鬼夜行絵巻』一巻があり、これが百鬼夜行図としては最古の作品です。同時代のものとしては岐阜・崇福寺に伝わる『付喪神(つくもがみ)絵巻』二巻があり、こちらは古い器物が主役。これは100年以上たった、人から捨てられた器物たちに魂が宿り、人に仇をなす説話です。時に「百器」と言われたりもします。
 
江戸時代に入ると妖怪ブームがおき、様々な図・絵巻も登場します。ブームの火付け役の1人・鳥山石燕(とりやませきえん 1712~1788)が描く『画図百鬼夜行』『今昔画図続百鬼』』『百器徒然袋』、伊藤若冲(いとうじゃくちゅう 1716~1800)の『付喪神図』などが有名でしょう。
 
そして戦後。妖怪博士な水木しげる先生が色々な妖怪や鬼を明るく描かれました。目玉親父をはじめ、キャラクター達は今も私たちに愛されています。もはやお友達です。
 
ですが、です。水木先生以前の百鬼夜行図や付喪神図の主役である妖怪や鬼たちは、別の場所でも書いたことがありますが、愛される存在というよりは退治された存在です。強く恐ろしい存在ですが退治されたり棄てられたり忘れ去られていた存在なのです。
 
そんな彼らだけで成り立つのが百鬼夜行図や付喪神図です。百鬼夜行も付喪神も仏教の教えを説くための説話に登場する鬼ですので、日本本来の来訪神としての鬼ではありません。そんな彼らですが、案外、現代も夜に活動しているかもですね。

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

玉川大学 芸術学部講師
早稲田大学メディア文化研究所 招聘研究員
小田原のまちづくり会社「合同会社まち元気小田原」業務推進課長


民俗芸能しいては日本文化の活性を目指し中心市街地活性化事業に取り組んでいる。
元広告業界専門新聞編集長であったことから日本ペンクラブに所属。
現在、広報委員・獄中作家委員などに名を連ね活動している。
(社)鬼ごっこ協会会報などでコラムを担当
所属学会:民俗芸能学会・藝能学会・日本民俗芸能協会ほか