『オニ文化コラム』Vol,44
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師
段々と冬の寒さが訪れ、木々の紅葉も美しいこの頃。ふと旅行気分になり思い出したご当地鬼文化がおります。
それは世界に知られる日本の観光地の筆頭であろう京都に伝わっております。京都といえば由緒ある寺社や街並み、そして自然や、和食文化・・・数え切れないほど色々の楽しみがあると思いますが、このコラムでは敢えて瓦屋根の護り「鬼瓦」と対をなす「鍾馗(しょうき)」の人形をご紹介します。屋根に置かれる人形です。
なぜ京都では鬼瓦と鍾馗(しょうき)がセットなのかと言いますと、これには次のような伝説が残っております。江戸戸末期ごろに京都三条の薬屋が立派な鬼瓦をふいた時、向かいの家の住人が原因不明の病に倒れました。突然のことだったので何故倒れたのか・・・と、その理由を調べたところ、これは向かいの薬屋の立派な鬼瓦に跳ね返された悪いモノが家に入ったのではないか?という結論に達したそうです。そこで、鬼よりも強いと言われる存在「鍾馗」の人形を瓦屋に作らせて屋根の上に据えてみました。すると、住人さんの病気はみるみる完治。この話が広がり、京都では鬼瓦の向いに鍾馗(しょうき)を置くようになったそうです。
この鍾馗は日本では魔よけや厄除けコンテンツとして定着しておりますが、元々は中国の民間伝承に由来する神様です。伝承によると、時は唐(7~10世紀ごろ)、皇帝玄宗のお話でして、玄宗が病気にかかって高熱でうなされている時の夢に出てきた鬼です。その夢の中で宮廷内をチョロチョロする小鬼たちをホイホイ捕まえては食べる大鬼がいました。玄宗が大鬼に正体を尋ねると「自分は鍾馗という者です。生前、官吏になるため科挙を受験したけれど落第して、宮中で自殺してしまいました。その時に高祖皇帝が自分を手厚く葬ってくれましたので、その恩に報いるためにやってきました」と答えたそうです。そして、そんな内容の夢から覚めた時、気が付くと玄宗の病気は治っていました。この事に感謝した玄宗が絵師に依頼して夢に出てきた姿を絵画に残したそうです。それが現在の鍾馗のデザインであり、京都の屋根の上にいる鍾馗です。
鍾馗を見かける・・・そんな京都の旅もいかがでしょうか♪
山崎 敬子 / Yamazaki keiko
玉川大学 芸術学部講師
早稲田大学メディア文化研究所 招聘研究員
小田原のまちづくり会社「合同会社まち元気小田原」業務推進課長
民俗芸能しいては日本文化の活性を目指し中心市街地活性化事業に取り組んでいる。
元広告業界専門新聞編集長であったことから日本ペンクラブに所属。
現在、広報委員・獄中作家委員などに名を連ね活動している。
(社)鬼ごっこ協会会報などでコラムを担当
所属学会:民俗芸能学会・藝能学会・日本民俗芸能協会ほか