2015.4.16

『オニ文化コラム』Vol,1

 
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術楽部講師

誰でもできる遊びと聞いて思いつくものは何ですか。

 子供の頃を思い出しながら考えると、ドロケイ(ケイドロ)や鬼ごっこを連想する人も多いのではないでしょうか。子供の遊びは単なる「遊戯」に止まらず、先輩後輩のコミュニケーション、地域との関わり方など社会教育的効果があると思います。そしてそれは、日本の文化の中に根付いていた「地域教育」でもありました。

 戦後、民俗学者の柳田國男は、教育現場に民俗学研究を反映しようと試みており、「成城小学校の『柳田社会学科』は『なるべく日本民族がつくりあげ、われわれが伝承している文化と呼ばれる生活の中から、素材を選』び、(中略)子ども達を日本人の心意伝承を背負った存在として捉え、様々な民俗文化の学習を通して、伝統との連続の中で子どものまわりにある社会について考えさせようとした」そうです(※)。たとえば地域のお祭りでは、老人には老人の、大人には大人の、子供には子供の役割があるように、年齢別の組織「子供組」「若者組」などが存在し、それぞれの中で社会規範や役割を伝授していました。しかし、近代以降の学校制度の普及にともない、日本古来の「子供組」「若者組」などはその機能を失って社会から姿を消し、結果、伝統文化の伝達が出来なくなってしまった感があります。近代教育の中で日本の生活文化を活かした取り組みは今も行われていますが、それは言い換えれば、それだけ「失われた」ものがある証でもあるのです。

 その現在においても、誰でもできる「鬼ごっこ」は多様なバリエーションを見せながら遊ばれています。ここに大きな意味があると、私は思います。今でも誰でもができる遊びのニーズがあるのです。

 核家族化が進んでいるといわれようとも、社会的には、老人から子供へ暮らしの知恵を伝授する流れ自体は消えていないし、むしろ今後高齢化社会に突き進む中、温故知新のように昔の生活の知恵や技から改めて教わることが増えてくるのではないでしょうか。その最たる良例を、今も「誰でもできる遊び」としての鬼ごっこから生まれた「スポーツ鬼ごっこ」が、これから見せてくれるのではないかと、私はとてもわくわくしております。

※小国喜弘「戦後社会科における民俗学的方法の位置―都丸十九一における「村がら」の認識をめぐって―」(『教育学研究』第61巻第2号 1994年6月)

山崎 敬子 / Yamazaki keiko

玉川大学 芸術学部講師
早稲田大学メディア文化研究所 招聘研究員
小田原のまちづくり会社「合同会社まち元気小田原」業務推進課長


民俗芸能しいては日本文化の活性を目指し中心市街地活性化事業に取り組んでいる。
元広告業界専門新聞編集長であったことから日本ペンクラブに所属。
現在、広報委員・獄中作家委員などに名を連ね活動している。
(社)鬼ごっこ協会会報などでコラムを担当
所属学会:民俗芸能学会・藝能学会・日本民俗芸能協会ほか