『オニ文化コラム』Vol,26
山崎 敬子
コラムニスト
玉川大学芸術学部講師
「鬼師」
この言葉を聞いたことがありますか?
お寺やなど和式建築物の棟の端などに設置される板状の瓦を総称して「鬼瓦」、略して「鬼」と言います。飾りとしての役割だけではなく、その建物を災厄から護る厄除けの役割を持っています。これを作る人たちのことを「鬼師」と言います。
ちなみに…以前は、屋根瓦が乗った屋根が一般的でした。瓦が葺かれた屋根は「瓦葺(かわらぶき)」、「瓦葺屋根」、など呼ばれ、その施工に携わる業者を瓦葺き職人と言います。
さて、話を戻しましょう。
今、私の手元にある1999年11月に発行された『鬼文化江戸・東京物語展記念限定出版』によりますと、日本に瓦が伝わったのは飛鳥時代。百済から仏教が伝来するのと並行して瓦作りの技術も伝来し、寺社建築に反映されていきます。そして鎌倉時代に「ヲニ」と書かれた棟端飾瓦が出てきます。角を持った鬼の顔が刻まれた鬼瓦の出現です。時が過ぎ江戸時代になると、一般の家にも鬼瓦が取り付けられるようになってきたようです。
そんな鬼瓦の鬼は、邪悪な鬼ではなく、人間の側に立って邪悪なものを追い払う鬼です。私は、それこそ日本の鬼らしい姿という気がします。
日本の鬼といえば…『日本書記』斉明天皇7年(661年)8月に「鬼ありて、大笠を着て、喪の儀を臨み見る」という記述があります。斉明天皇の葬儀での記述でして、その葬儀を山の頂きで大きな笠をかぶった鬼が眺めて見守っていたようなのです。
この「大笠をかぶったオニ」というところが日本的ポイント。
笠をかぶって人間世界に姿を現すその姿は、変身あるいは仮装したものなのです。人間世界と異なる世界から訪れてきた異形の存在は、笠(や蓑など)で姿を変えている=普通の人間とは違う霊験がある・パワーがある存在として捉えられていました。そんな彼らを民俗学では「マレビト」「来訪神」と呼びます。そしてそういう存在を日本書記で「オニ」とも記しているのです。秋田県のナマハゲを思い出していただけたら、と思います。あれです。
瓦の起源は大陸由来であっても、時が過ぎるにつれ、「見守る・人間側に寄り添う」日本的なオニと投合した影響が鬼瓦にも見えるかもですね★
山崎 敬子 / Yamazaki keiko
玉川大学 芸術学部講師
早稲田大学メディア文化研究所 招聘研究員
小田原のまちづくり会社「合同会社まち元気小田原」業務推進課長
民俗芸能しいては日本文化の活性を目指し中心市街地活性化事業に取り組んでいる。
元広告業界専門新聞編集長であったことから日本ペンクラブに所属。
現在、広報委員・獄中作家委員などに名を連ね活動している。
(社)鬼ごっこ協会会報などでコラムを担当
所属学会:民俗芸能学会・藝能学会・日本民俗芸能協会ほか