2016.4.28
『鬼ごっこのまち物語り』Vol,12
中島 智
羽衣国際大学 現代社会学部 講師
まずは、先日の熊本地震で被災された皆様に心からお見舞い申し上げたい。東日本大震災からの復興も途半ばであり、震災復興というものが非日常の事態ではなく、日常化していることを強く感じざるを得ない。まさにリスク社会である。こうした時代を生き抜くためにも、鬼ごっこのある町づくりが希求されている。
たとえば、スポーツ鬼ごっこを通して育てられるように思うことの一つは、どんな状況に置かれていたとしても、それを自分たちの力で変えていけるという意欲だ。何があっても折れない、しなやかな姿勢あるいは逆境から立ち直る力を表す概念に「レジリエンス」がある。そして、このレジリエンスを構成する要素に「モジュール性」があるといわれている。これは、ある部分が全体と常時つながっているわけではなく、独立して存在することができるということだ。
スポーツ鬼ごっこは7人制で、攻めと守りのフォーメーションという〈型〉がある。が、試合の流れの変化は激しく、当然、一人ひとりによるその場での状況判断が欠かせない。また、この点に関連して、もう一つの特徴は、〈おとり〉が重要な役割を果たす点である。注意を引きつけるおとり役は、詰まるところ、敵にタッチされても、味方が隙をついて宝を取ることができれば、それで良い。ここで重要なのは、一見、個人で勝手に動いているように見えるおとりも、チーム全体の動きと見事に一致している点である。こうしたおとりの動きも、レジリエンスの現れと見ることができるように思う。
ともあれ、世代から世代へと継承され創造されてきた鬼ごっこに、現代リスク社会を生き抜くためのヒントが詰まっているといっても過言ではない。各地域の復興への道程は、険しいことが予想されるが、歴史の中で蓄積されてきた文化の力を信じて、自分たちにできることから始めていこうではないか。
たとえば、スポーツ鬼ごっこを通して育てられるように思うことの一つは、どんな状況に置かれていたとしても、それを自分たちの力で変えていけるという意欲だ。何があっても折れない、しなやかな姿勢あるいは逆境から立ち直る力を表す概念に「レジリエンス」がある。そして、このレジリエンスを構成する要素に「モジュール性」があるといわれている。これは、ある部分が全体と常時つながっているわけではなく、独立して存在することができるということだ。
スポーツ鬼ごっこは7人制で、攻めと守りのフォーメーションという〈型〉がある。が、試合の流れの変化は激しく、当然、一人ひとりによるその場での状況判断が欠かせない。また、この点に関連して、もう一つの特徴は、〈おとり〉が重要な役割を果たす点である。注意を引きつけるおとり役は、詰まるところ、敵にタッチされても、味方が隙をついて宝を取ることができれば、それで良い。ここで重要なのは、一見、個人で勝手に動いているように見えるおとりも、チーム全体の動きと見事に一致している点である。こうしたおとりの動きも、レジリエンスの現れと見ることができるように思う。
ともあれ、世代から世代へと継承され創造されてきた鬼ごっこに、現代リスク社会を生き抜くためのヒントが詰まっているといっても過言ではない。各地域の復興への道程は、険しいことが予想されるが、歴史の中で蓄積されてきた文化の力を信じて、自分たちにできることから始めていこうではないか。
中島 智 / Nakajima Tomo
羽衣国際大学 現代社会学部 准教授
1981年滋賀県生まれ。専攻・関心分野:観光学・地域文化政策・子ども文化論・福祉文化学。東京立正短期大学現代コミュニケーション学科専任講師を経て、羽衣国際大学現代社会学部専任講師(京都文教大学総合社会学部非常勤講師を兼務)。「知る前に感じる」「動きながら考える」「遊ぶように生きる」ことを学生たちと実践している。共編著に『新・観光を学ぶ』(八千代出版、2017年)。共著に『こども文化・ビジネスを学ぶ』(八千代出版、2016年)など。
<その他、所属>
一般社団法人東京スポーツクロスラボ 監事