2015.12.28
『鬼ごっこのまち物語り』Vol,8
中島 智
羽衣国際大学 現代社会学部 講師
2020年東京五輪のみならず21世紀のキーワードのひとつは、「スポーツ文化」だ、と私は考えている。だが、日本社会では、学校の課外活動での「運動部」と「文化部」、または「体育会系」と「文化系」の区別からも分かるように、スポーツは文化と見なされてこなかったきらいがある。それだからなのか、一度、運動や体育に苦手意識を持つと、それを払拭するのは簡単ではないようだ。かくいう私も最近までそうだったが、幸いにもスポーツ鬼ごっこのおかげで、忘れていた身体を動かすことの楽しさを実感できるようになった。
先日も、勤務校のすぐ近くにある堀之内小学校で開催されたスポーツ鬼ごっこ大会に参加した。学年の枠をこえた縦割りで組まれたチームで試合が始まって、こんな場面を見た。それは、途中の作戦タイムでだれが指示するのでもなく、チームが一体となって、みんなで考え合う姿。
はっとした。今年に入って3級ライセンスを取得していたので、副審として少し助言できたらと思っていた。ところが、子どもたちはプレイしながら、自発的に学習していた。チームとしての一体感を感じた子どもたちは、実に粘り強い。スポーツ鬼ごっこには相手にタッチされても、自陣に戻って再スタートできるというルールがある。一度タッチされたら、そこで負けておしまいというわけではなく、復活して何度でもチャレンジできる。鬼ごっこをすることは、レジリエンス(逆境から立ち直る力)を磨くことでもあるのだ。
経験者ならよくご存じと思うが、スポーツ鬼ごっこは、セルフジャッジが基本とされる。しっかりセルフジャッジをするために大切なのは、今ここにいる人間ひとり一人を感じることだろう。純粋な遊び心をもって、あるいは私心を離れて自分たち自身で考えて、つくりだすものが文化であるとすれば、遊びの要素と競技のそれを併せもつスポーツ鬼ごっこの盛り上がりは、しなやかで本物のスポーツ文化が日本社会に生まれ始めたことを示しているのではないだろうか。
先日も、勤務校のすぐ近くにある堀之内小学校で開催されたスポーツ鬼ごっこ大会に参加した。学年の枠をこえた縦割りで組まれたチームで試合が始まって、こんな場面を見た。それは、途中の作戦タイムでだれが指示するのでもなく、チームが一体となって、みんなで考え合う姿。
はっとした。今年に入って3級ライセンスを取得していたので、副審として少し助言できたらと思っていた。ところが、子どもたちはプレイしながら、自発的に学習していた。チームとしての一体感を感じた子どもたちは、実に粘り強い。スポーツ鬼ごっこには相手にタッチされても、自陣に戻って再スタートできるというルールがある。一度タッチされたら、そこで負けておしまいというわけではなく、復活して何度でもチャレンジできる。鬼ごっこをすることは、レジリエンス(逆境から立ち直る力)を磨くことでもあるのだ。
経験者ならよくご存じと思うが、スポーツ鬼ごっこは、セルフジャッジが基本とされる。しっかりセルフジャッジをするために大切なのは、今ここにいる人間ひとり一人を感じることだろう。純粋な遊び心をもって、あるいは私心を離れて自分たち自身で考えて、つくりだすものが文化であるとすれば、遊びの要素と競技のそれを併せもつスポーツ鬼ごっこの盛り上がりは、しなやかで本物のスポーツ文化が日本社会に生まれ始めたことを示しているのではないだろうか。
中島 智 / Nakajima Tomo
羽衣国際大学 現代社会学部 准教授
1981年滋賀県生まれ。専攻・関心分野:観光学・地域文化政策・子ども文化論・福祉文化学。東京立正短期大学現代コミュニケーション学科専任講師を経て、羽衣国際大学現代社会学部専任講師(京都文教大学総合社会学部非常勤講師を兼務)。「知る前に感じる」「動きながら考える」「遊ぶように生きる」ことを学生たちと実践している。共編著に『新・観光を学ぶ』(八千代出版、2017年)。共著に『こども文化・ビジネスを学ぶ』(八千代出版、2016年)など。
<その他、所属>
一般社団法人東京スポーツクロスラボ 監事